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  • 【ミャンマー連載コラム】蘭貢界隈膝栗毛 vol.2

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    第2回:パゴダのシンボリズム
    日本貿易振興機構アジア経済研究所 リサーチ・アソシエイト
    長田 紀之

    ミャンマーは仏教国というイメージが大量に生産され、消費されている。それを媒介しているのがパゴダの図像だ。たしかにこの国にはパゴダがあふれている。パゴダがミャンマーを象徴しているというのは間違いではない。

    国内最大都市であり、外国人がミャンマーに来てまず足を踏み下ろす玄関口であるヤンゴンもまた、パゴダの町だ。古来より遠方からの巡礼客を集めたシュエダゴン・パゴダが丘の上にそびえ、黄金色に輝いている。18世紀以前、この町はダゴンといって、シュエダゴン・パゴダ門前の小さな漁村に過ぎなかった。つまり、町よりもパゴダの歴史の方がよほど古い。

    そもそもパゴダとはなにか。概ね円錐形をした仏塔のことだが、日本人にはなじみが薄い。日本の寺院では、庫裏や講堂や仏塔が組み合わさって伽藍を形成している。この複合施設が寺院であって、仏塔はその一要素に過ぎない。だから、〇〇寺の五重塔などとなる。

    これに対して、ミャンマーのパゴダは独立性が高い。僧院の境内にパゴダが建つこともあるが、原理的に僧院とパゴダは全くの別物だ。××僧院と□□パゴダはそれぞれ別個に存在している。

    ミャンマーの多数派が信奉する上座仏教では、出家者と在家者とを厳格に区別する。出家者、つまり僧は、欲望にとらわれがちな世間から距離を置き、戒律に則った生活を送りながら、涅槃を目指して修行する。そのための空間が僧院だ。

    他方、パゴダは在家信者、つまりビルマ人一般大衆のための空間といえる。パゴダは、多くの場合、仏舎利や経典などを内蔵しており、それ自体が仏性を帯びた存在と考えられ、在家仏教徒たちの信仰と崇拝の対象となっている。いわばパゴダは世俗に埋め込まれた聖なる空間だ。

    シュエダゴン・パゴダは、国内最大規模の威容を誇り、その美しく荘厳な姿はいまも人々を惹きつけてやまない。夕暮れ時に訪れれば、境内の涼やかな静謐のなかで、座して数珠を繰り瞑想を行う者から、願い事が叶うようにと熱心に祈りを捧げる者、手を取り合って言葉を交わす恋人たち、親子連れ、カメラを構えてそれらをフレームに収めようとする外国人観光客まで、さまざまな人たちと行き会う。

    このように人々の集うパゴダは、ミャンマーの近代史において、しばしば政治劇の舞台ともなった。

    イギリス植民地支配下の20世紀初めには、ヨーロッパ人が靴を履いたままパゴダの境内に立ち入ることが問題化した。ミャンマーでは伝統的にパゴダの境内では履物を脱ぐ慣習があった。そうした慣習を無視したヨーロッパ人の不遜な行為がビルマ人の怒りを買い、新聞紙上で大きな論争を呼んだ。この事件を画期として、ビルマ・ナショナリズムの流れは文化振興運動から政治運動へと転じていった。

    その後も、1920年の学生ストライキ、1938年の反インド人暴動、1974年の国連事務総長ウ・タンの葬儀をめぐる反体制デモ、1988年の民主化運動といった重要な大衆運動はシュエダゴン・パゴダを起点として発生した。ビルマ人仏教徒大衆の精神が沸点に達した時、パゴダはその聖性ゆえに、大衆の力を結集し具現化する中心点となった。

    シュエダゴン・パゴダは、仏教の聖地であると同時に、仏教徒ビルマ人の聖地、仏教国たるミャンマーの聖地になっている。それは、国内に向けても、国外に向けても、ミャンマーの広告塔として、ミャンマーが仏教国であることを明示し続けている。

    しかしながら、ミャンマーが仏教国だというのは必ずしも自明なことではない。国内には、その他の宗教を信仰する人々が少なからず存在する。

    そして、ほかならぬヤンゴン、シュエダゴン・パゴダの膝元のこの町こそ、もっとも「仏教国ミャンマー」らしからぬ場所なのだ。パゴダの町という顔はヤンゴンの一面に過ぎない。

    3/14/2013

    シュエダゴン・パゴダ
    写真家:クリス・モア 
    Photographic: Chris Moore

    長田紀之

    長田紀之

    日本貿易振興機構アジア経済研究所
    リサーチ・アソシエイト

    研究者。専門はミャンマー近代史。1980年、東京都出生。2002年、東京大学文学部(東洋史学)卒業。同年、東京大学大学院人文社会系研究科に進学し、修士課程・博士課程を経て、2013年6月に博士号を取得した。この間、2007年から2009年にかけてミャンマーへ留学し、ヤンゴン市内を徘徊。現在は、都内の大学で非常勤講師として東南アジア史やビルマ語を教える一方、2013年4月より日本貿易振興機構アジア経済研究所にリサーチ・アソシエイトとして勤務し、現代ミャンマーの動向分析に当たっている。

    http://www.ide.go.jp/Japanese/Researchers/osada_noriyuki.html

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