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  • 続「新聞では書かない、ミャンマーに世界が押し寄せる30の理由」vol.3

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    第3回 「日本とミャンマーの絆」

    2014年4月6日、日曜日の早朝、ヤンゴン郊外にある日本人墓地にて日緬合同戦没者慰霊祭が催行された。今年は日本・ミャンマー外交関係樹立60周年にあたり、両国の交流を深める各種行事が開催されることになっており、今回の慰霊祭もその一環として企画された。

    主催はMJ-SEDA(ミャンマー・日本社会経済開発協会)。両国の文化経済交流の促進を目的として2012年11月に設立されたミャンマーのNGOである。既に会員数は1800名を超え、そのほとんどは日本で滞在経験のあるミャンマー人で、幹部の中にはミャンマーでも有名な企業の経営者の方もいる。

    日本語が堪能で、日本が大好きな彼らの存在は、我々在住日本人にとって本当に心強い。ビジネス面のみならず、生活面での困り事などにも快く相談に乗っていただけるからである。最近では東京、名古屋、大阪など日本各地にも支部ができ、活動の範囲を広げていると聞いている。

    ミャンマーの4月は暑季である。午前9時前であっても、既に日差しは強く、大理石の白さが眩しい。苑内は管理人によってきちんと手入れがされており、ブーゲンビリアなど南国の花樹が植えられている。日本ではまさに桜花爛漫の候である。遠い異国の地で散華された18万余柱の英霊に祖国の桜をお見せすることはできないまでも、せめてもの供養になればと生花を奉納させていただいた。

    慰霊碑の前のプレートにはこのように由来が刻まれている。

    (原文)
    「戦没者霊苑の由来
    一九四一年~四五年の大東亜戦争において、日本軍は遠くこのビルマにまで進撃した。当時ビルマは英国の植民地であり、日本軍は戦略上の必要から、この地で英・米・支軍と戦ったのである。だが戦いは我に利あらず。日本軍は十九万の戦没将兵を遺して敗退した。
    この碑は、その時の戦没者の慰霊碑である。
    この作戦間、ビルマの人々は日本軍を歓迎し、援助し、敗戦後も変わらぬ仏心で我々に接してくれた。本当にありがとう。
    この墓地は、タモエとチャンドウの旧日本人墓地の代替として、ヤンゴン日本人会の尽力によって達成された。しかし、霊苑中央の記念碑は日本政府によって建てられたものであり、霊苑の造園その他は、全国のビルマ従軍生存戦友および遺族の浄財によって完成された。
    一九九八年三月 全ビルマ戦友団体 」

    太平洋戦争の際、ここビルマの地でも多くの日本軍兵士が命を落としたことを知ってはいても、約19万人という数字を思うと言葉もでない。ただ、ただ、御霊安かれと祈るのみである。

    開戦後間もなく、日本軍はビルマ独立義勇軍の協力のもとイギリス軍を急襲、あっという間にビルマ全域を制圧した。イギリス植民地支配からの独立という大義はあったものの、戦争の舞台となったミャンマーの人々にも多大なご迷惑をおかけしたことは想像に難くない。

    にもかかわらず、生き延びてなんとか帰国を果たした旧軍人の方々は口々に、ミャンマー人に命を救われたといい、イギリスから独立を果たしたビルマ政府は、終戦後いち早く講和条約を結び、日本の国際社会への復帰を支援してくれたのである。我々日本人はこの史実を決して忘れてはならない。

    午前9時、ミャンマー側30名と在住日本人10名ほどが参列し、式典が開始された。

    まず、主催者の挨拶のあと、ミャンマー人僧侶による読経が行われた。読経が終わると、ミャンマー側の代表数名が僧侶に供物を捧げ、拝礼した。続いて、私の名前が呼ばれ、「日本語の読経」をする順番となった。

    実は事前に主催者から「誰かお経を読んでくれる人を探してくれないか?」と依頼を受けていたのではあるが、日本人僧侶を探す時間もなかったので、仕方なく私が引き受けることになったのであった。5年前に一度、ミャンマーで得度したことがあるとはいえ、僧侶でもない私がこのような場所で読経することには少々抵抗があった。

    しかし、不慣れではあっても心を込めてお勤めさせていただければ、きっと泉下に眠る英霊もお許し下さるに違いないと思い、他の日本人参列者の方々にも協力をお願いして、般若心経を二度、唱和させていただいた。読経を終え、慰霊碑に向かって合掌した私は、日本人としての責務を果たしたという達成感とこのような機会を作ってくれたミャンマーの友人たちの優しさに対する感動で胸が一杯だった。

    その後、参列者全員が焼香をし、記念撮影をして解散となった。

    今回の実行委員長のMoeさんは「私は日本で留学中に戦友会の皆さんに大変お世話になりました。今日はその恩返しができて本当に嬉しかったです。」と語ってくれた。繰り返すが、この日の主催者はミャンマー人で式典の準備はもちろん、費用もすべて彼らの負担であった。

    日本国と国民を代表して、改めて心からの感謝を捧げたい。

    少し早起きさせられた休日だったが、私にとっては「日本とミャンマーの絆」を再認識させられた、忘れられない一日となった。

    5/07/2014

    慰霊祭 01

    慰霊祭 02

    慰霊祭 03

    慰霊祭 04

    松下英樹

    松下英樹

    バガン・インベストメント
    COO (取締役執行役員)

    1964年、静岡市生まれ。早稲田大学商学部卒。参議院議員秘書を経て1999年静岡市にPCスクール運営会社、オックスクラブ・ドット・コムを設立、90年からミャンマーに通い始める。2003年、ミャンマーICTパークにてMyanma Dot Netを設立、無線ネットワークによるISP(インターネット・サービス・プロバイダ)事業に進出するも、政変によりパートナー企業が政府に接収されてしまったため、閉鎖を余儀なくされたが、その後もミャンマーに通い続けて現地での人脈を広げていった。2013年1月、日系初のベンチャーキャピタル、バガン・インベストメント社を設立、取締役執行役員に就任。

    http://www.baganinvestment.com

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