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  • 【ミャンマー連載コラム】蘭貢界隈膝栗毛 vol.5

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    第5回:ダウンタウン裏通り探訪
    日本貿易振興機構アジア経済研究所 リサーチ・アソシエイト
    長田 紀之

    ヤンゴンに通い始めた10年ほど前、私の常宿はダウンタウンの裏通りの一つにあるゲストハウスだった。細い路地に建つ5階建てのビル。打ちっぱなしのコンクリートに囲まれた、窓のない小さな部屋。当時、1晩8ドルで泊まれたところが、今では30ドルも40ドルもするらしい。深刻な宿不足で不相応な値段に吊り上がっている。

    宿代の高騰ぶりは甚だしいが、通りの様子は10年前とさほど変わらない。幅10m弱の通りを、人や車が行き交う(といってもダウンタウンでは、ほとんどの道路で車両は一方通行)。路地の両側に車が停めてあると、もう1台通るのがやっとだ。歩行者はそれらを縫って進む。

    車通りの少ない時間帯には、「ペ~~~ビョウッ。ペ~~~ビョウッ」と煮豆を売り歩く声が響く。目を上にやれば、上層階のベランダから竿竹がにょきっと突き出て、洗濯物が干されている。別のある裏通りでは、通り自体が青空生鮮市場となっている。路上に品物を広げた売り手と、買い物客との応酬。車の通行には相当の無理がある。ここではもう人間が車を凌駕している。

     

    ダウンタウンの道路網には、表通りと裏通りのコントラストがある。

    碁盤の目を形づくるのが太い表通りだ。幅60mの堂々たるスーレー・パゴダ通りを中心として、それと平行する南北方向と直交する東西方向に、30m幅の道路が約250m間隔で走る。前回述べたようにこうした大通りには壮麗な大建築が建ち並び、また、それぞれの通りには固有の名前が与えられている。

    裏通りとは、南北方向の大通りの間を通る5本の細い道路だ。大通りで区切られた250m四方の格子を、細長い短冊形に割っている。5本の真ん中は幅15mで固有の名前が付されるが、残り4本の幅10m道路は、西から順に番号を振られただけの味気ない街路名。例えば、スーレー・パゴダ通りのすぐ西側は32番通り、すぐ東側には33番通りといった具合だ。

    日中ぎらぎらと明るい表通りとは対照的に、裏通りはやさしく薄暗い。路地の両脇には4‐5階建ての集合住宅が建ち並び、太陽が真上にくる時間帯を除いて、ある程度熱光線を遮ってくれる。比較的歩きやすい庶民の生活空間をなしている。

     

    イギリスの植民地時代には、こうした明暗のコントラストはより鮮明だった。

    いまだくすんでいない絢爛豪華な表通りに対して、裏通りの集合住宅には過密による劣悪な環境が生まれていた。換気も採光もできない部屋に南インド出身の出稼ぎ労働者たちがすし詰めに押し込まれた。1人当たりの床面積が1㎡足らずという凄まじい状況で、一つの部屋に数十名が文字通り体を重ね合わせて眠ったという。こうした人々が、精米所や港湾での単純労働や、人力車曳きなどの都市雑業に従事し、植民地ビルマ経済の根幹を支えていた。

    その他にも多様な階層や民族の人々が裏通りに住んでいたのだが、とりわけ都市の暗部を象徴する存在が売春婦たちだった。中心部北側の裏通りには、集合住宅に間借りした娼館が多数あり、昼間から客引きの声が絶えなかったという。こうした売春婦には、日本から来たいわゆる「からゆきさん」も多く含まれた。

    植民地期のヤンゴンは都市の真ん中に極端な明暗を抱え込んだ町だった。

     

    しかしながら、戦争と独立を経て、都市中心部の人口構成は一変する。南アジア系の人々を中心とする外来の人々の多くは引き上げ、その穴を後背地から流入してきた大量のビルマ人が埋めていった。独立国家の威信にかけて、首都の核心部に位置する暗い部分は一掃され、訪問客から見えづらい周縁部へと隠された。表通りの輝きこそ衰えたものの、ダウンタウン全体はより明るく見通しの良い空間となった。こうして今見られるような裏通りができあがってくる。

    いまやこれらの裏通りに昔ほどの暗いイメージはない。人々の日常生活が繰り広げられる普通の世界。ときおり街頭にみかける、偽バイアグラ(?)などを扱ういかがわしい物売りだけが、かつての暗部の名残だろうか。

    6/25/2014

    裏通りの街並み(筆者撮影、2008年)

    番号の振られた街路名(筆者撮影、2011年)

    街頭の精力剤(?)売り(筆者撮影、2008年)

    長田紀之

    長田紀之

    日本貿易振興機構アジア経済研究所
    リサーチ・アソシエイト

    研究者。専門はミャンマー近代史。1980年、東京都出生。2002年、東京大学文学部(東洋史学)卒業。同年、東京大学大学院人文社会系研究科に進学し、修士課程・博士課程を経て、2013年6月に博士号を取得した。この間、2007年から2009年にかけてミャンマーへ留学し、ヤンゴン市内を徘徊。現在は、都内の大学で非常勤講師として東南アジア史やビルマ語を教える一方、2013年4月より日本貿易振興機構アジア経済研究所にリサーチ・アソシエイトとして勤務し、現代ミャンマーの動向分析に当たっている。

    http://www.ide.go.jp/Japanese/Researchers/osada_noriyuki.html

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