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  • 【ミャンマー連載コラム】蘭貢界隈膝栗毛 vol.7

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    第7回:古本屋業はつらいよ?
    日本貿易振興機構アジア経済研究所 リサーチ・アソシエイト
    長田 紀之

    ストランド・ホテルから少し西へ行くと、北へまっすぐに伸びる大きな道路に出る。ラングーンの建設時、当時の植民地ビルマの長官アーサー・フェーヤーにちなんでフェーヤー通りと名づけられたこの通りは、ビルマ人の間では早くからパンソーダンというビルマ語名でも呼ばれていた。意味としては、草木染め通り、となるが、この辺りには草木染めの職人でも住んでいたのだろうか。いまのところ確認できていない。

    ともあれ、独立後はこのパンソーダンが通りの正式な名称となった。北へ、鉄道線を陸橋で越えて、ヤンゴン市民が水辺に憩うカンドーヂー湖にぶつかるまで伸びている。その付け根にあたる河岸付近には巨大な官庁舎が建ち並ぶ。港湾局、内陸水運局、国営銀行など。なかでも最も目を引くのは旧高等裁判所の美しい赤レンガ建築だろう。

    こうした建築の中には、植民地期に大規模な民間会社のオフィスだったが、独立後の国有化政策の結果、政府に接収されたものも多い。例えば、内陸水運局はイラワディ・フローティラ会社だったし、今のミャンマー経済銀行のヤンゴン第一支店と第二支店はそれぞれロイド銀行とチャータード銀行のラングーン支店だった。植民地期、この辺りはヤンゴン随一のビジネス地区で、百貨店や商社も見られた。

    都市のど真ん中に位置し、古く壮麗な建築物が多く集まるこの地区は、都市遺産保護の一大争点だ。遺産保護を主唱するNGOのヤンゴン・ヘリテージ・トラストもここに事務所を構えている。古い建物の取り壊しと建て替えが進む中で、どう歴史的景観を維持するか模索されている。

     

    さて、実はこのパンソーダン、今では古本屋が集まっていることでも有名で、東京の神保町のようなところだ。こうした本屋街が形成されるのは独立後のことらしい。ミャンマーの人たちには本好きが多い。20世紀後半の抑圧的な体制のもとで出版業が衰退するなか、愛読家たちの読書欲を満たしたのが他でもないこうした古本屋たちだった。神保町もそうだが、古本屋めぐりは宝探しのようで楽しい。しかも、ここでは店の在庫にない本でも、頼んでおけばどこからか探し出してきて売ってくれる(見つからない場合もあるのだけれど)。

    神保町と違うのは、彼らの多くが露天商という点。雨風をしのぐのに竹ざおで支えたビニールシート一枚が頼り、という店も少なくない。当然、本の状態は一般的にかなり悪いし、表紙などないものも多い。しかし、陳列されている本を手に取ると、ほんのり漂うカビの匂い、しっとりとした質感、年月を感じさせる黒ずみ、その独特の魅力に心とらわれてしまう。

    私がこの古本屋街に通い始めたのは21世紀に入って間もない頃、学部卒業論文の材料集めがきっかけだった。卒論のテーマを植民地期の医療衛生史に絞り込んだものの、公文書館で思うような史料が手に入らず途方に暮れていたところ、顔見知りの古本屋の一人が19世紀半ばの公衆衛生局の年次報告書を何冊か仕入れて売ってくれた。刊行された衛生関係の報告書としては最初期のかなり貴重なもので、おおいに助かった。ただし、状態は最悪。雑にめくるともろい落ち葉のようにはらはらと崩れてしまう。おそるおそるページを繰りながら読んだが、壊れるのが怖いので、卒論以来、ほとんど開いていない。

    あれから10余年、私はこの街の常連となった。本の値段は交渉で決まる。「もうちょっとまけて」、「なぁ、友達だからこの値段で売ってやるんだぜ」、「もうちょっとまけて」、「最近、娘が学校に上がってさ」、「もうちょっとまけて」、「そりゃ死んじまうぜ」。買い物のたびに大いにやり合うのだが、貴重な本でこちらが欲しいと思う場合にはどうしたって売り手が強い。提示される金額には本の捜索など手間賃も含まれる。あまり値切りすぎて、次に本探しを頼んだときに手を抜かれても困る。「いい客」であり続けることも大事、と思い定めて折れるしかない。結局、なけなしの研究資金のかなりの部分をこの街につぎこむことになった。

     

    私の知るパンソーダンは、商人通り(マーチャント通り/コウンデー通り)との交差点の一角に大きな空き地を抱えていた。そこには植民地期にヤンゴン最大の百貨店が建っていた。建物はやはり独立後に接収されたが、2000年の火事で焼け落ちてしまったのだという。私が通い始めたのはその後のことで、跡地は周りをフェンスで囲われたまま放置されていた。このフェンスの外側に張り付くようにして、一部の古本屋たちが露店を開いた。

    ところが、最近の都市開発ブームで、突如としてこの空き地を埋める大建築が生えてきた。完成すれば、周囲の露天商はどかされてしまうのかもしれない。どこの町でもこういう人たちの権利というのはあまり強くない。

    場所の問題だけでなく、いまの時世、古本屋たちにはなかなかに厳しい。経済的活況に政府による検閲解除などもあいまって、半世紀ぶりに出版業が隆盛を見ている。新刊本だけでなく、これまで入手困難だった古い良書の再版が雨後の筍のようにボコボコ出る。本の街パンソーダンには、こうした新品を扱う本屋がいくつも出店してきた。民間新聞も復活し、雑誌の種類も増えている。読書愛好家たちにとっての選択肢が広まった分、古本屋たちは厳しい競争にさらされている。

     

    今でもヤンゴンを訪れる機会があると、必ず一度はパンソーダンを歩く。これといって目当てのものがあるわけではない。だから、本を見に行くのだか、友達の顔を見に行くのだか、自分でもよく分からないが、行かないと落ち着かない。こういう場所にはなくなってほしくない。建設中の新しい建物の中に、どかされる露天商のためのスペースを確保すべきという議論もあるそうだ。ぜひとも建物や街区の見た目の維持だけでなく、こうした人々の営みをも含みこんだ「場所」の保全に心を砕いてもらいたい。

    9/19/2014

    ミャンマー経済銀行第二支店(旧チャータード銀行)(筆写撮影、2013年)

    露天の古本屋(筆写撮影、2014年)

    数年前のパンソーダン景観。奥には港湾局などの大建築が見える。手前側交差点の隅に空き地があり、古本屋のビニールシートが並ぶ。(筆写撮影、2008年)

    空き地だった土地に建設中の建物(筆写撮影、2014年)

    長田紀之

    長田紀之

    日本貿易振興機構アジア経済研究所
    リサーチ・アソシエイト

    研究者。専門はミャンマー近代史。1980年、東京都出生。2002年、東京大学文学部(東洋史学)卒業。同年、東京大学大学院人文社会系研究科に進学し、修士課程・博士課程を経て、2013年6月に博士号を取得した。この間、2007年から2009年にかけてミャンマーへ留学し、ヤンゴン市内を徘徊。現在は、都内の大学で非常勤講師として東南アジア史やビルマ語を教える一方、2013年4月より日本貿易振興機構アジア経済研究所にリサーチ・アソシエイトとして勤務し、現代ミャンマーの動向分析に当たっている。

    http://www.ide.go.jp/Japanese/Researchers/osada_noriyuki.html

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