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  • 続「新聞では書かない、ミャンマーに世界が押し寄せる30の理由」vol.8

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    第8回 ミャンマー伝統格闘技 ラウェイ (Lethwei)

    2014年9月21日(日)午後、ヤンゴン市内カンドージ湖畔にある、Thein Phyuスタジアムにて「Who’s No.1 ?」と銘打ったラウェイの試合が開催された。メイン・イベントではこの6年間無敗の王者Saw Nga Man(34歳)と現在売り出し中で若手No.1と言われる Tun Tun Min (23歳)が初めて対決した。

    ファン待望の最強王者決定戦とあって、2000人収容のスタジアムは超満員となり、場外にはダフ屋まで現れた。注目の結果は4RノックアウトでTun Tun Minが勝利、新チャンピオン誕生の瞬間をリングサイドで観ることができた私は大満足だった。

    ミャンマー・ラウェイは、素手で殴り合い、肘、膝、頭突き、スタンドでの投げ技、関節技ありという究極の格闘技で1,000年以上前の王朝時代からの歴史を持つ。勝敗はK.Oのみで判定はなく、試合が終わって(通常は5R)両者が立っていれば引き分けとなる。タイのムエタイ(タイ式キックボクシング)に似ているが、その違いは真剣と竹刀での立ち会いに等しい。

    拳を守るために巻くバンテージだけの素手で殴り合う選手たちの緊迫感は観客席にいてもヒシヒシと伝わってくる。「世界一危険な格闘技」とも言われるだけあって、ほとんどの試合は流血戦となる。血を見るのが苦手な人には絶対にお勧めできない。勝敗を分けるのは体力やテクニックではなく痛みと恐怖に打ち勝つ精神力だ。

    2年ほど前に、私の友人でビジネスパートナーでもある現地旅行代理店WAZO Travels のWAZO社長に誘われて初めて試合を見たときから私はラウェイの魅力の虜となった。彼は個人でラウェイのジムも経営し若手選手の育成も行っており、「ミャンマー・ラウェイ協会」の役員も務めている。

    実は数年前までラウェイは存亡の危機にあった。社会主義から軍政時代にかけて、政府は人々が集まるイベントの開催を厳しく制限しており、ヤンゴンやマンダレーなどの大都市ではなかなか興行を打つことができなかった。スポーツ競技でもないラウェイはテレビや新聞などの国営メディアに取り上げられることもなく、次第に人々の記憶から消え去って行った。選手たちの試合の場所は地方の祭り会場しかなく、少ないファイトマネーで戦うのを嫌がる有力選手たちは次々にムエタイに転向し、タイへ流出していった。

    このままでは誇り高きミャンマー人の魂が失われかねないと危機感を覚えた有志たちが立ち上げたのが「ミャンマー・ラウェイ協会」である。 彼らの地道な努力によって何とか選手の育成が続けられ、民主化以後、ようやく最近になって大きな試合を開催できるようになってきたのである。

    まだまだ国内外ともにラウェイの知名度は低いが、日本でも一部格闘技マニアの中では徐々に話題になってきているようだ。昨年、私とWAZO氏は日本人選手2名を招聘し、「日本VSミャンマー チャレンジマッチ」を開催した。慣れないルールに苦戦しながらも果敢なファイトを見せてくれた日本人選手たちにはミャンマー人の観衆からも大きな拍手が送られた。試合の模様は一部、WOWOWのドキュメンタリー番組『ノンフィクションW 世界一危険な格闘技・ラウェイ ミャンマー新時代に揺れる魂の拳』として放映された。

    ミャンマー人の多くは敬虔な仏教徒で普段はおとなしく、控えめな国民性だとよく言われている。観光客や出張で訪れるビジネスマンたちからは、ミャンマー人の穏やかな人柄に癒されたなどと聞くことも多い。一方、当地に長く在住している外国人たちはミャンマー人の微笑みの後ろに隠された感情の激しさも知っている。実は「ミャンマー人はキレたら怖い」のだ。

    そんなミャンマーの意外な一面を理解するためにも、一度ラウェイの試合に足を運ばれてはいかがだろうか。ヤンゴンでは最近は毎月のように大きな試合が開催されるようになっている。

    11/27/2014

    大会ポスター

    満員の試合会場

    (左) Tun Tun Min選手 (右) Saw Nga Man選手

    番組ポスター

    松下英樹

    松下英樹

    バガン・インベストメント
    COO (取締役執行役員)

    1964年、静岡市生まれ。早稲田大学商学部卒。参議院議員秘書を経て1999年静岡市にPCスクール運営会社、オックスクラブ・ドット・コムを設立、90年からミャンマーに通い始める。2003年、ミャンマーICTパークにてMyanma Dot Netを設立、無線ネットワークによるISP(インターネット・サービス・プロバイダ)事業に進出するも、政変によりパートナー企業が政府に接収されてしまったため、閉鎖を余儀なくされたが、その後もミャンマーに通い続けて現地での人脈を広げていった。2013年1月、日系初のベンチャーキャピタル、バガン・インベストメント社を設立、取締役執行役員に就任。

    http://www.baganinvestment.com

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